2007年07月06日

引っ越しました

こちらへ引っ越しました。

こちらはアーカイブとして残しておきますが、新規分は引越し先にて展開いたします。ご迷惑をおかけいたしますが、容量過多で画像がアップロードできないなど、ストレスが掛かるので止む得ず退避します。
posted by 焙煎師TIPO at 10:55| 日記

2007年06月14日

スイッチが入る

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映画なり、小説なり、音楽なりを楽しんでいてスイッチが入る瞬間があります。脳内で「カチリ」と鳴り、何かが変化します。

映像、活字、音などの媒体の最も基本的な機能は情報伝達です。誰かの考えや思いなどを不特定多数を伝えるのがメディアです。そこで問題となるのが、情報の伝達率です。これは決して一定の数値でなく、人によって、状況によって変動する値です。発信者との相性みたいなものもあります。例えばいくら頑張って読んでも頭に入ってこない作家がいます。オリジナルのメッセージの僅かしか伝達されず、読み続けることにとてつもない労力を伴い不快感すら抱くことがあります。また抑え難い衝動で爆睡する映画があります。確かにメディアの本質が伝えることである以上、伝えるテクニック(技術)の問題もありますが、それ以上に受動サイドの「時」「場所」「感情」などの影響を大きく被ります。

受け取る際、何かのきっかけで大きく伝達率が変化することがあります。それが「スイッチが入る」という表現です。きっかけは多分、ワンフレーズの文章であり、映画のワンシーン、ちょっとした声や楽器の音色。一旦スイッチが入ると、一緒に時を過ごすのが堪らなく心地よく、永遠にこの瞬間が続くことを夢見ます。「トンネルを抜けると、そこは……」という言葉の通り、暗闇を抜けたら世界が一転しているのです。空気感ががらりと変化します。その時、スイッチが入るか否かが、好きか嫌いか(あるいは個人的に良いか悪いか)という結果を生みます。

活字ジャンキー、映画ジャンキー、音楽ジャンキーを自称する者としては、日々多くのメディアに接しています。しかしスイッチが入るのはほんの一部。これは悲しむべきことなのか、それとも出会いを喜ぶべきことなのか?でも答えを見つけることなく、メディアにどっぷりの毎日を過ごすでしょう。
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2007年06月10日

TYPOGRAPHY

タイトルは英語ですが、ポルトガル語にすると店名TIPOGRAFIAになります。いつも読めない店名を訊ねられ、「チッポグラフィアです」と答えると今度は意味を問われます。「ポルトガル語でタイポグラフィです」と答えますがさらに「何それ?」と質問が続きます。そしていよいよ説明に困ります。日本語で的確にワンワードで訳しようがないのですね。そのため、カウンターには

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モダン・タイポグラフィの流れ』を忍ばせています。
そしてこの本を差しだし、

   「これですわ」

の一言で済ませています。これは本当の話。

ある雑誌の記事によると、タイポグラフィは
 
 (1)タイプフェイス(文字そのもののデザイン)
 (2)タイプセティング(文字配置やレイアウトデザイン)

の二つに分かれるそうです。
人に例えると、面構えと性格やスタンスみたいなもんでしょうか?どう見ても悪役の面構えなのに気弱な控えめな人もいれば、表の仏様のような穏やかさに激しい攻撃性を秘めている人もあります。人は見かけによらないものです。あれ?あんまりタイポグラフィと関係のない例え話かも知れませんね。

雨昨日に引き続き、激しい雨が降ってきました。ずぶ濡れの行き交う人がガラス越しにううかがえます。せっかくの日曜日ですが、気が滅入りますね。まあ、気分転換に雨宿りにでもおいでやす。
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2007年06月08日

写真

あまり写真を撮ることはありません。

フィルムやデジカメはもちろん、携帯のカメラですら活用されずに眠っています。画像で記録を残すという習慣が無いのですね。

確かにブログを続けている関係で、画像を残すことが必要な場合があります。世の中のブロガー(この言葉は最近覚えました。最初なんじゃそれ?という不可解な耳触りでした)のマメな記録には感服します。例えばうちの夫婦の場合………

 「お待たせいたしました。※※※でございます」
 「がつがつがつがつがつがつ(二人してがっつく)」
 「あ、写真撮り忘れた」
 「あ………」
 「もう、いつもあんたはがっつくやから」
 「あんたもやろ」
 「(二人でハモリながら)ま、ええか」

という感じ。本当に毎回の会話です。誠に懲りない面々です。

食べ物を前にすると、まずはそれを食する興味に支配され、画像残すことはコンプリートに忘却されます。きれいに盛り付けられた皿はあっという間に原型を留めない代物と化し、そこで初めて「あ!」と我に返ります。コースメニューをしっかり、巧みな画像で残せる人には無条件降伏します。

その他の日常も同様です。
お互い自分の写真がこっ恥ずかしく嫌いなため、ツーショットも個別も写真がありません。旅行に出かけても、風景すら撮ることを忘れます。魂を抜かれるとはいいませんが、ま、軽度の写真嫌いといってもいいでしょうね。

余談ですが、だからこそ先日のMARISA MONTEの無断写真撮影は地獄の攻め苦と同じ。思い出しても腹立つわ。    

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2007年06月04日

価値感

昨日、某廉価衣服店にて、嫁がキャミソールを手に取り考え込んでました。数分にわたる熟考の末、清水の舞台から飛び降りるかと思えば、さり気なく何も無かったかように棚に返していました。その価格700円そこそこ。

「おいおい!買えばえんやん」と突っ込んだ10分後、今度は自分が別の某チェーンにて特価中の男性下着(3枚で2000円そこそこ)を何度も手にとっては棚に戻し、考えに考えて購入断念。無意識に同じことをしている自分に気が付きました。

二人してクロスロードに立ち悪魔に魂を売るべきか否かを悩む黒人ブルースマン並に考え込んだ末、共に選んだ道は回避。まあ、それが何百万の買い物なら別ですが、たかが1000円、2000円のものです。

自分は同じ2000円でもCDならば一瞬の迷いも無く無条件にひれ伏しているでしょう。嫁も同様に限定モノSWEETSならば何の迷いなく購入しているはずです。例え値段が同じであっても、興味の対象によって価値観は異なり、価格は各々の相対的なもの。二人揃って、ココには金を惜しまないけれど、それ以外は徹底してケチるという偏った合理主義に囚われているのでしょうか?確かに関西人的な意地汚さ故と思いながらも、いつも日常的に値段と価値を比較しています。TIPOGRAFIAの420円のコーヒーは客観的安いのか、高いのか?と自問自答します。でも金に糸目をつけない即無条件降伏な対象があります。それぞれ対象は異なり、自分はディスクであり、嫁は食べ物なのです。資本(軍資金)の集中投下の法則です。価値観はどこまでも相対的であり個人的な、決して比較検討できない世界なのですね。
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2007年05月26日

独り言

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しかし、まあ、よう降りましたな。困ったモンですわ。そうでんなぁ。ま、今日はええ天気やさかいに、ぎょうさんお客さん来てくれはったらええなぁ。あんじょうおきばりやすぅ。おおきにぃ。

意味不明の独り言で幕を開けました。

     ………文字通り、意味はありません。

昨日、まことにえげつない雨の中、わざわざお店まで足を運んで下さったお客様はまるで神様か天使のように後光が差して見えます。湿気に全身を舐められ、ひたすら気がめいる店内にこもっている時は、お客様の放つ光の中に希望が垣間見えます。そして「もう少しきばろう」とめげた自分を励ますことができるのです。

今日は土曜日。晴れて、気分も仕切りなおし。皆様にとっても良い週末であるように。
posted by 焙煎師TIPO at 09:28| 日記

2007年05月14日

講座が終わって

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嵐のような2日間が終わりました。画像は師匠、河野雅信氏が送ってきた大阪の写真です。何ともベタな……。

さて、今回の講座も参加した皆様のコーヒー心を少しでも満足させた内容であればTIPOGRAFIAとしても幸いです。関西教室も開講以来、多くの人に参加していただき大変感謝しております。これからも器具、コーヒー、店共々、「コーノ」と付き合いいただければうれしい!

しかし、コーノ式珈琲塾関連者、講座参加者、いつものお客様と接していると、いつも

    みんなほんまにコーヒーが好きやねんなぁ!

という思いを抱きます。
一日にコーヒー屋を何軒も梯子してまわったり、何杯もの液体を楽しんだりすごい情熱です。それだけ、世界の多くの人を夢中にさせる素晴らしいドリンクであることは間違いないことでしょう。もちろんコーヒーが好きでコーヒー屋を始めた店主も人並み以上には好きなはずです。でも正確には“程々に”好きが正しいかな。多分自分の中の好きの絶対量で言えば、映画とか音楽の方が勝るはずです。ただ恋は盲目という格言通り、好きすぎる相手とは距離感がつかめず商売には向いていません。自分にとっては適度に嗜み、適度に詳しく、適度に商えるのがコーヒーです。どんなに好きでも商売として映画を作ったり、レコ屋はできません。コーヒーは適度に愛して、長く長く付き合うことが出来る連れ合いです。

こうして教室という名目で師匠に再会して、いろいろな人のコーヒーに接することで初心に戻り、気持ちも新たに道を進むことが出来ます。関係各位の皆様、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
posted by 焙煎師TIPO at 21:20| 日記

2007年05月09日

愚直さ

その分野で特筆する成功を収めた会社経営者を迎えたインタビュー番組を観ていて、繰り返えされたのが「愚直な」という言葉でした。

辞書によると

 正直なばかりで臨機応変の行動をとれないこと。または、そのさま。

とのことで「ばか正直」といわれるように、決して良い言葉ではありません。しかし二人の経営者は「愚直であるべきだ」と繰り返します。それは戦略や自分自身に対して、頑なまでに貫こうとする姿勢でしょうか?成功には愚直さは必要なものなのでしようか?

※番組を録画して観ていた訳ではありませんので、前後の文脈は受け取り側(私)の主観的な解釈が含まれています。

何かを作り上げるには必ず時間が必要です。昨今のビジネスにおいては「ドッグイヤー」という言葉のとおり、時間の重みが軽視されがちですが、しかるべき時間を要してこそ完成される事象があるはずです。

例えば、コーヒーの焙煎。
作業はある程度、手を抜くことは可能です。注文後、スイッチひとつ、5分程度で自動に煎り上げる焙煎機も普及しています。反対に、生豆を事前に吟味し、予熱した釜に投入、火加減と換気を調整しながら、何倍もの時間を掛けてば焙煎する方法もあります。前者はあアルバイトの素人でも可能であり、後者は何年何十年もの熟練が必要となります。どちらに価値を抱くかは人それぞれの勝手ですが、見た目が同じコーヒー豆でも、明らかに異なることは確かです。

仕事において、この愚直さが求められているのかも知れません。それは、

  決して手を抜かない(ひと手間かける)

  時間をかける(適切かつ十分な時間を費やす) 
  
  すべてに正直である(決して嘘や偽りを言わない)


 
ということです。そして変化に応じて、適切な工夫を積み重ねて、理想とする完成形へと近づけます。これは焙煎でも、抽出でも、経営でも同じ。そう、表層的な効率や体裁よりも、人は愚直なまでに誠実であるべきです。愚か者と罵られようとも人が生きるために必要な愚かさもあるはずです。

ふとした時に、改めて出逢った日本語(「愚直」というひとつの単語)の持つ不可思議で奥深く多層な意味あいには今更ながら唸るばかりです。 

posted by 焙煎師TIPO at 13:41| 日記

2007年04月27日

単なる雑記

先程、身内の弔事を終え、帰ってきました。
明日からは通常通り営業を再開いたします。

定休日以外に、私事や研修などで店を閉めることに不安を募らせます。店主とその家内のみで店を営業している以上、臨時で休業を取ることは避けられない時もあります。でも誰かがせっかく店に来ていただいたにも関わらず、もし店が閉まっていたら……と考えると不安で不安でたまらなくなります。実際のこの2日間がどうであったかは知る由もありませんが、店を開け続けることは強迫観念の様に心の奥底を支配します。そしていつでも最良のコーヒーと共に変わらぬ一時を過ごせる店でありたいと願いを抱きます。

明日からの営業で皆様と素敵な時間を過ごせるよう、最善を尽くします。どうぞ起こしやす。心よりお待ちしております。
posted by 焙煎師TIPO at 23:41| 日記

2007年04月17日

EVRYBODY NEEDS SOMETHING

誰かが“EVRYBODY NEEDS SOMBODY!”と唄っていましたが今日のテーマは、

 “EVRYBODY NEEDS SOMETHING”

です。大人にも何かしらが必要です。どうやらいい年になっても、おもちゃが必要な大人もいるようです。関係ないけどクレイジーケンバンドの♪「大人のおもちゃ、大人のおもちゃ……」と繰り返されるコーラスを初めて聴いた時は正直クラクラしました。

私の場合はCDとレコード。こればかりは病気みたいなものです。おもちゃ屋さん(レコ屋)巡りが1週間でも空くと空虚な焦燥感に追われ、不安になります。集めたおもちゃたち(ディスク)は決して捨てずに増殖するブツは日常のスペースを侵食していきます。

そしてどうやら連れ合いのおもちゃは調理器具(道具)らしい。一通り新しい器具はいっちょ噛みしないと気がすまない?スティームオーブン、アイスクリームメーカー、ワッフルメーカー、タコ焼き機、電動パン切りナイフ、圧力鍋、ル・クルーゼの鍋などなど道具や器具がいっぱい溢れています。でも痩せる健康器具のように封印したくなるような恥ずかしい過去にならずに、しっかりと使いこなしているのがすごい人かも知れません。日々皆様に提供しているケーキたちはこれら道具の賜物です。

先日さらっと発表されたニューウエポンであるエスプーマもまさしく大人のおもちゃです。ケーキやコーヒーのオプションとしてホイップクリームを付けることを企んでいました。スプレー缶入りや、袋入りの使い捨てタイプなども一通り試してみたのですが、何となく納得いかず。自動のホイップマシーンなども探してみたのですが遺憾としがたい価格面が………。そんな時、たまたま存在を知り、先日の東京での展示会での実演を見て、思わず欲しくなってしまったようです。ボトルに食材を入れ、亜酸化窒素ガスを封入しシェイクするだけで、ムース状になります。フリフリ!シュワー!という感じで結構快感です。現在、食材をいろいろと試行錯誤しながら、トライしております。近日中にはメニューのオプションとして、ホットやアイスコーヒーにトッピングしてウインナーコーヒー風にアレンジしたり、ケーキに添えたり応用範囲は多様です。裏方(製造)担当が日々おもちゃの遊び方を研究しています。お楽しみに!
posted by 焙煎師TIPO at 11:00| 日記

2007年04月10日

カップリングパーティ

大概の情報誌にはカップリングパーティの広告が掲載されています。
面倒くさい、ややこしいと一生涯決して近づくことのない世界ですが、誌面を繁々と眺めてみると結構面白いものです。

単純にイベントの開催告知(時間や場所、参加費用などの告知)ではなく、ニーズに応じて、より細分化そして特殊化されていきます。例えば、年齢、職業、収入金額などにより対象がセグメントされ、需要と供給のバランスシートにより会費が決定。例えばあるパーティでは、男性が医師・弁護士・会計士などのスーパーエグゼクティブの場合、男性2500円の会費に対して女性10000円です。金額は料理や会場の対価でなく、場(さらには集客された人)への対価となるんですね。初めて知りました。

妄想は拡がります。もし、細分化と特殊化の果てに「自家焙煎店主限定」のカップリングパーティがあったらなら………。

それは誠に恐ろしい世界が繰り拡げられるのでは?参加者は皆、ヒゲ面にバンダナを巻いて、胸当て付きエプロンを着用。当然マイテイスティングスプーンを片手に、乾杯の後、ドリンクをチュルチュルもぐもぐと味わい、突然アロマだの、フレーヴァーだのうんちくを語り始める。さらに場が進むとコンテスト入賞だの、オークションだの、常温コンテナだのオレオレ自慢が飛び交う。なんともうんちくと業深いエゴに満ちた世界が展開されそうです。あああああああああ、恐ろしい。絶対近づきたくない。

他にも「ラーメン屋店主限定」なら「気合!」「根性!」と体育会系の罵声と脚蹴りが飛び交ってそうだし、「そば屋店主限定」なら参加者全員申し合わせた様に作務衣を着ていそうです。あ、当然すべて根拠のない勝手な妄想です。全くの事実無根の“PURE IMAGINATION”に過ぎません。そしてこの妄想が現実に成立の条件となる女性側のニーズが多分無い!いやきっと無い!妄想はどこまでも妄想から逸脱することは不可能です。所詮、悪夢は悪夢です。よかった。
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2007年04月08日

夢で会いましょう

春はなぜこんなにも眠いのだろうか?

圧倒的な睡眠欲の統治により、春の睡眠戒厳令中です。これにはどうしても逆らえません(この前は前日に10時間寝たのに、まだ眠かった)。確かに自分の場合、睡眠が不足するとてきめんに調子が悪くなります。睡眠が現実逃避を含んだ浄化機能を有しており、毎晩しっかりガス抜きしておかないとならないようですね。ああああああああああうううううううう(欠伸の音)。おっと、失礼。

そして夢も良く見ます。
日常の続きの様なミニマムからハリウッド映画のホラーもどき(ゾンビ物が多し)まで多彩な仕掛けに満ちています。当然総天然色。眠っていても、オールナイトで映画を観ている様で決して休まることはありません。しかし現実が込み入ってくると、さすがにややこしい悪夢と化すこともしばしばあります。先日も朝方の夢で、「ケーキセット、ケーキセット、ケーキセットが残ってる。ケーキセットを売らなきゃ」とぶつぶつ呟いていました。さすがにこれは目覚めても辛かった。

………ということで今日はケーキセットはちゃんと注文してね!残したらイヤよ!

近日公開の映画『恋愛睡眠のすすめ』に密かに期待。大好きな『エターナル・サンシャイン』に続くミシェル・ゴンドリー監督作品であり、主演はガエル・ガルシア・ベルナルとシャルロット・ゲンズブールです。予告編を観ていると夢の中で憧れの彼女と恋するというガエル君の情けなさが睡眠フェチ、夢フェチの私にはたまらない設定に、期待でパンパンに胸板が厚くななり、筋肉痛すら生じています。しかしながら、大阪では単館・レイトショー・1週間限定というなんとも不遇な三重苦な公開らしい。なんで?

あ、なんてことを夢を見ている暇はない!メニューのリニュアルを考えなきゃ。
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2007年04月06日

雑記

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まさしく花冷え。
四月、桜は爛漫、近くの小学校では入学式が開催されていましたが、独り店で震えています。水出しアイスコーヒーが店頭デビューするやいなや、クールネスが寒気を呼んだごとくひえひえです。バンバン忙しくって、業務に追われていたら、さほど寒さも感じないのですが、静寂は寒さが心の奥まで染み入ります。外は豊かな日差しに包まれ、ぽかぽか陽気かも知れません。こんな日はぶらぶらと出かけたくなりますね。

先日、ネットで店名をお客様の公募で変更するというカフェを見つけました。なんと大胆な。面白いけど、アイデンティティに関わる部分ですから、小心者としてはそこまでは踏み切れません。やはりいじり易い部分と言えば、メニューですね。あれやこれやと妄想しているのは結構楽しいものです。思いを拡げ、変えていくべき部分と変えずに届けていかねばならない部分があります。TIPOGRAFIAが突然自家焙煎黒豆屋や中古レコード屋にはなりませんので、ご安心下さい。誰も心配しないか……。

今日は取り留めない雑文です。では明日にまたお会いしましょう。さよなら。
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2007年04月02日

1GD$

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食べ物の価格を比較するときに使うのが“GD$”と言う単位です。チョイ気取って“ゲードン”と読んでください。

1GD$は日本円で300〜400円に相当いたします。例えばカフェでケーキセット800円を注文した場合は約2GD$となります。そして、

 「このケーキとコーヒーは牛丼2杯分か……」

と脳裏によぎるのです。そう“GD$”は牛丼1杯分の価格に相当する金額です。私は、なぜか対象が食べ物なら、すぐに牛丼の杯数で割り換算する癖があるのですね。

 「なに!この小さなチョコが牛丼7杯分?ガッデム!なってこったぃ!」

とすぐに反応してしまいますが、もちろん服や本にはこの単位は使用せず、外食など同類(食いもん)対象に限ります。「何と、牛丼1年分(365杯)に相当するセレブなスーツだ!」とは言いません。

牛丼好きです。確かに良く食ってました。外回りの仕事中、時間がなければカウンターでかけ込む。仕事終わって、9時過ぎると下戸が飲まずに飯だけを済ませる店は牛丼屋くらいしかないのでいそいそ出向く。そんなこんなで週に何度も。寂寥感一杯で何かしら悲しいけど、まあこれも人生と、開き直ってまた牛丼屋へ。何しろ、「油」と「砂糖」と「だし(うまみ)」はヒトが生理的においしいと勝手に感じる三要素であり、「もっとおいしくなりたい!」というジャンキーのような中毒性を引き起こします。三要素を三位一体で体現する牛丼には逆らえません。こうして刷り込まれたトラウマのおかげで何でも牛丼換算してしまいます。

1牛丼(GD$)の価格は変丼相場制のため、時代と共に変化いたします。私が大学の頃は300円、いつしか400円に上昇しました。しかし牛丼価格破壊の勃発により、デフレ化して300円を切る価格まで下落。その後のBSE騒動により、基準となる牛丼の流通中止と言う前代未聞の事態に陥り、混迷の時代を迎えましたね。最近の動向では概ね400円前後を推移しています。丼高、丼安など、景気と外食産業の価格変動の余波には“GD$”も決して逆らえません。ボブ・ディランじゃなくても、時代は変わる!

TIPOGRAFIAのコーヒー1杯の価格設定はこの1GD$に起因しています(嘘)。でも東京で1杯600〜700円もするコーヒーを見ると、「なんじゃ、これわ〜。コーヒーが牛丼2杯分??」と叫びたくなります。さあ、皆様も“GD$”単位を導入してロハスでエコな生活をおくりましょう(おくれないか?)。

同様に非食物の換算単位としては1CD$があります。日本円で2000円相当かな。使用方法としては「CD5枚分のTシャツ!なめんじゃねええええええ!」という感じです。
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2007年03月19日

卒業

通りすがりの近所の学校で卒業式が開催されていました。
ちょうどそんな季節なのですね。そういえば、先日からよく店へ来てくれていたお客様が「実は今日で最後です」「明日引っ越すんですよ。今日が最後だから来ました」と立て続けにコーヒーの飲みに来てくれていました。店を構えるというは定点で眺めることになります。そして行きかうお客様は卒業したり、引っ越したりといつかは移り変わっていきます。いつも来てくれたお客様がTIPOGRAFIAを卒業するのは悲しいことですが、それもまた避けられない宿命です。卒業式を見て、少しだけ感傷的になりました。

現在、メニューの全面刷新を進めています。これまでの基本は変えることなく、さらにいろいろなバリエーションを提供できるよう、連日連れ合いと喧々囂々と議論中。今回は特にサマーシーズンへ向けた刷新を狙っています。どうぞご期待下さい。
 
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2007年03月04日

まだ3月に入ったばっかりなのにもうコンプリートに春です。今日は最高温度20度を超える勢いです。そうなると、余りの暖かさにコートからいきなりTシャツモードへと飛躍します。

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昨秋、東京ジョアン・ジルベルト鑑賞ツアーのついでに鎌倉doisで入手したKONOのコーヒードリッパーTシャツです。ちゃんと袖には使用説明も入っています。このぽかぽか陽気でTシャツが心地よい頃合なので、いよいよ店デビューを狙っています。

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実は連れ合いとサイズ違いでペア購入しました。でもいい年のおじさんとおばさんがペアルックで店頭に出ているとお客様はドン引きすること必至!完全にうけ狙いか?

実はミーハーにdimanncheのグッズが大好きです。カップ、コーヒーの豆のボールペンなど各種取り揃えております。『Lマガジン』の写真のコーヒー豆型ボタンのネルシャツ(京都モリカゲシャツ製、本当にネルと同じ素材を使用)もかなりお気に入り。写真を見た当人(堀内隆志氏)からも指摘されました。

……とまあ、何とも取り留めないことをうだうだ書いていますが、春だねぇ。いいねえ。と、そんな春な気分を盛り上げるディスクを掘り出してきました。

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FRANKIE VALLIの『SOLO』『TIMELESS』を2in1でカップリングしたCDです。ご存知“CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU”“I MAKE A FOOL OF MYSEL”を含むくさいメロディーいっぱいで心が躍ります。はははははは〜る!
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2007年03月02日

扉を開けると……

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今年に入って以来、迫りくる確定申告故に胃にコンクリートが詰まったような日々が続いていました。でも先程ようやく提出を終え、少しだけ解放された気分(おお、自由万歳!)です。
さて、店は連れ合いに任せ、池田の税務署でミッション(大げさな!)を終え、TIPOGRAFIAの扉を開けた時のことです。コーヒーの香りが店主をやさしく包み今更ながら自分の店固有の香りを知りました。同時にCTIのジョビンをバックに裏返った営業声モードの連れ合いの声が響くと我が家(ほんとに我が家なんだけどね)に帰ってきた気がする、ほっとする感じでした。そんな空気を来て頂いたお客様にも与えることができたなら……。TIPOGRAFIAが花粉地獄の街を彷徨う人にとって一時の安楽の地であれたら……。改めてそう願うばかりです。
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2007年02月28日

自家焙煎になりたかった訳ではない

店主は自家焙煎コーヒー屋になりたかった訳ではありません。

基本的にはコーヒーと音が心地よく漂う空間(店舗)を提供したかった。そこでおいしいコーヒーを提供するための最良の方法が「自家焙煎」でした。鮮度や素材、味わい作りなどの管理を徹底したかったので、焙煎機を導入し、ついでに店内で豆の販売コーナーも併設しました。「自家焙煎」は目標達成のための手段であり、方法論です。目標は「コーヒーがおいしいジャズ喫茶」であり、「ジャズが流れる自家焙煎コーヒー屋」ではありません。誰が見ても自家焙煎コーヒー屋の店主の勝手なカミングアウトは矛盾に満ちています。

以前、脱サラを考えているある人が「私には喫茶店ぐらいしかできないですからね」と漏らしていました。喫茶店「デモ」やろうか、喫茶店「シカ」できないという「デモシカ」思想に、「われ、コーヒー舐めんじゃねぇ!」と馬の後ろに足を縛り付けて京都の市中を引きずり回してやろうか!と真剣に激怒しました。たかがコーヒーですがそれ程奥深い世界に繋がっています。

「おいしさ」はコーヒー屋(そしてもちろん食に関わる全てのショップ)にとって商売の要です。
正確には自分以外の誰かにおいしいと感じていただける店を目指したかったのです。決して自分が確執するおいしさでなく、お客様に判断していただく客観的なものを求めます。「おいしかったよ!」という言葉の為に、お客様に一杯のカップの液体を通じて、嘘偽り無く真剣に対峙していたいのです。

だから店主は自家焙煎になりたかった訳ではないのですが、自家焙煎をやっています。

余談ですが、同業である中川ワニ氏を店に迎えてコーヒー話を聞くと言うのは禁じ手かも知れません。例えば、味自慢のラーメン店が他店オーナーの成功の秘訣を店舗での公開セミナーで発信するようなもの?確かにアイデンティティの危機というか、自己矛盾に近いものがあります。でもこれはこれでフラットに楽しむつもり。なぜなら、愚かな自意識より、純粋に誰かのコーヒーに対する好奇心、人と人と思いから生じる有機的リアクションの方がおししいコーヒーの糧となりうるはずです。そして、なによりご参加いただいたお客様がその場の空気を心地よく感じていただければ店主冥利に尽きる幸せです。そう、漫談会も2回目を迎えましたが、店主自身が一番期待しております。
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2007年02月15日

PRICE

今日はプライスのお話。

関西人は安いことを自慢し、東京人は高いことを自慢するといいます。確かに関西人である自分も、日常的にすぐに値段のことを口に出し、何かにつけて頭の中で価格と価値を計算します。お客様とも「これはいくらいくらで、安くて使いやすいですよ」と素で話します。東京人からみると少しはしたないことなのかも知れません。

さて、お店であれ、会社であれプライス戦略はビジネスの根幹となるものです。当然、関西人的な、安い=「ええやっちゃ!」、高い=「なっとらん!」という単純な構造ではありません。安くても売れないものもあれば、高くても売れるものもあります。でも商品のサービスや質に差がない場合は競合と差別化を図る方法はひたすら価格のみ。体力勝負の持久戦です。

TIPOGRAFIAの向かいは、元々は一つの土地を二分割して、別々に時間貸し駐車場となっています。オープン時期がずれており、先発と後発の価格が異なります。一方には屋根があるなどサービス自体には一切差はありません。そのため(知らずに入れた一見さんを除き)圧倒的に安い方がいっぱい。2倍の価格差があるため、もう一方はかなり苦戦を強いられています。文字通り、「お客さんは現金やなぁ」と感じてしまいます。

さてコーヒーの価格はどうでしょうか?
開店前、基本となるコーヒーをいったいいくらに設定するのかには結構悩みました。作り置きしない一杯出し、フルサービスを基本に考えていましたので、セルフサービスの廉価コーヒー店と同じ価格帯では勝負できません。当然立地を考えると、回転数で低価格を実現することも不可能です。結局、拠り所にしたのは原価率うんぬんよりも自分の財布感覚です。「コーヒー1杯で500円はないやろ。300円は安すぎるしなぁ。まあ400円くらいかな?消費税込みで420円や!」と適当に思考していた気がします。一応分析すれば、コーヒーの場合1cc当たりの価格設定という考えがあります。TIPOGRAFIAの場合、200ccで420円なので、1cc当たり約2円です。セルフ店の場合、価格は190円で120cc程度の量ですので約1.5円となります。価格差はありますが、サービスや付加価値を考慮すると決して高いプライスではないのでは?ドリンクごとの価格設定(というより会計時のオペレーション)が面倒なので、個々の原価率は考慮せず、わかりやすく全て均一価格といたしました。さらには、一口サイズのお菓子を付けたり、いろいろな豆を楽しんで欲しいのでドリップコーヒーのお代わりが150円、エスプレッソは一杯じゃ悲しいのでお代わり付きなど、細かいプライス戦略を繰り広げています。………というより店主のお金にシビアなセコい感覚が現れています。

果たしてお客様のお手軽感に適っているのかは判りません。でも店主として本当に望むことは、プライスうんぬんよりも、プライスレスな“何か”をこの店で感じて、満足していただけること、そして再び来て頂けることです。一応これが言いたかったのです!
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2007年02月10日

testament

「僕が死んだら、ディスクユニオンに店のレコードとCDを引き取ってもらいなさい。着払いで送りつけても大丈夫や。多分そこそこの金額になるはずだから。でも間違ってもブックオフとかの買取に持っていったらあかんで。」

店主が連れ合いに常々唱えている遺言です。

意図的に身体に良いことは絶対しないけど、悪いこともしないという店主の健康状態はまずまず良好です。でも反対にあまり身体によろしくないことを好む傾向にある連れ合いですが、結果的には絶対に私より長生きするはずです。仮に平均寿命通り生きたとしても女性の方が男性より遥かにしぶとく、さらに彼女の祖母は明治生まれ、ミレニアム(100年)を目指して日々カウントダウン中!こりゃ負けるわ。

有事の際に残す言葉がレコードとCDの処分方法とは悲しい人生かもしれません。音への脅迫概念はおさまることを知らずに暴走し続けています。そのため数百キロからトン単位になりかねない遺産の処分を考えます。密かに恥ずかしい本や手紙を焼き払うのに近いかも知れません。残された連れ合いにとっては全く価値がないけど、持ち主の思い入れの一杯の小物たちの再生を考えます。愛してくれる誰かの元で第二の人生(盤生)を送って欲しいものです。やはり遺産の掃除人としてはディスクユニオンあたりが適任か?あえて関西なら神戸ディスクデシネか京都ジェットセットあたりかな?きっと映画『パルプフィクション』のハーベイ・カイテル演ずるプロの掃除人ザ・ウルフの様に的確な処理を遂行してくれるはずです。

しかし店で聴くためにディスクを買っているのか、それともディスクを買うために店を続けているのか?無限の音への好奇心は一向に止まる事を知らない!ああああああああああああああああ、うちめちゃ困ったわ〜。あああああああああああ……。ま、いいか!これも人生!そのうち気が済んで、落ち着くでしょう(か?)。
posted by 焙煎師TIPO at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記