
昨日のコーヒーの香味表現に関連しますが、アンダーグラウンドな非公開組織「ベルベット舐めたことあるんか」派のお話です。あくまでも影の集団なのでコソコソと小声で話します。画像は関連があるような、無いようなVELVET UNDERGROUND & NICO(大好きでした!)
味覚表現の困難さと複雑性を憂います。
聴覚(音)と視覚(映像)などは比較的置換が可能です。例えば記憶にある風景なら絵を描いて説明するなど。でも味覚は非常に内包的で主観的なセンサーのため、他者に伝達するには基本的には「言葉」というメディアを介するしかありません。たかが一杯のコーヒーを誰かに伝えることすら儘なりません。言葉を多用、過信すると、それはレトリックとなり物事の本質から逸脱していきます。
スペシャルティコーヒーと呼ばれる風味特性の明確な高品質の商品を判断(カッピング)するために、様々な香味表現があるようです。表題のベルベットのような」とは液体を口に含んだ質感の良い特性表現の一例とされています。ここで素直な疑問が涌きます。
ベルベットを舐めたことあるんか?
同様の表現で「バターのような」「クリームのような」「円い、転がるような(何が転がるの?)」「きつく編んだ布のような(全く意味不明)」などがあるそうです。オリジナル言語(英語)を強引に翻訳しているのでしょうが、不可解な表現ではあります。またコーヒーの味わいを近似的に別の食べ物などに置換する場合があります。例えば「チョコーレート」「キャラメル」「ナッツ」「赤ワイン」「フルーツ」「蜂蜜」「花」などが良い特性表現です。不快表現としては「ポテトフレーバー」「青臭い・青草の匂い」「青豆」「木のような」「古い麻袋の匂い」など。
チュルチュル!ふむふむ。なるほど…
フローラルなフレイヴァーがまるで上質な赤ワインのようですな。
果たしてこれらの言語感覚で、味覚が正確に伝わるのでしょうか?何よりチュルチュルと音をたてて吸うなちゅうねん!気色悪いちゅうねん!(でも正式なカッピングの作法です)
人は言葉でコミュニケーションを図るしかありません。でも口内に拡がったこの液体の素晴らしさを伝えるのには、言葉は余りにも無力過ぎます。「ベルベット舐めたことあるんか」派はこの立ちはだかる圧倒的な無力さを笑って茶化します。組織の活動はこれだけです。そして茶化しても笑っても人は生きていきます、前へと進んでいきます。ひたすら、何かを誰かに伝えるために!
ただ、味に対して客観的なな評価基準を確立することは大事なことだとは思います。また業界人でもなければ、焙煎師でもない自分がとやかく言う問題ではなかったと反省もしているようです。大先輩である岡林信康氏は言ってます「おいら一抜けた」って。もう忘れていた発言が取り上げられて少しびっくりしたそうです。珈琲を楽しむ上で勉強するこはとても大事ですが、固執したり盲信したり、徒党を組んだりしてはいけないと考えているようです。買う側の人間となった今は作り手とは一線を画す必要があるようです。ですから、その表現を批判した人はもう居なくなった思っていただければ幸いだそうです。