2007年06月04日

価値感

昨日、某廉価衣服店にて、嫁がキャミソールを手に取り考え込んでました。数分にわたる熟考の末、清水の舞台から飛び降りるかと思えば、さり気なく何も無かったかように棚に返していました。その価格700円そこそこ。

「おいおい!買えばえんやん」と突っ込んだ10分後、今度は自分が別の某チェーンにて特価中の男性下着(3枚で2000円そこそこ)を何度も手にとっては棚に戻し、考えに考えて購入断念。無意識に同じことをしている自分に気が付きました。

二人してクロスロードに立ち悪魔に魂を売るべきか否かを悩む黒人ブルースマン並に考え込んだ末、共に選んだ道は回避。まあ、それが何百万の買い物なら別ですが、たかが1000円、2000円のものです。

自分は同じ2000円でもCDならば一瞬の迷いも無く無条件にひれ伏しているでしょう。嫁も同様に限定モノSWEETSならば何の迷いなく購入しているはずです。例え値段が同じであっても、興味の対象によって価値観は異なり、価格は各々の相対的なもの。二人揃って、ココには金を惜しまないけれど、それ以外は徹底してケチるという偏った合理主義に囚われているのでしょうか?確かに関西人的な意地汚さ故と思いながらも、いつも日常的に値段と価値を比較しています。TIPOGRAFIAの420円のコーヒーは客観的安いのか、高いのか?と自問自答します。でも金に糸目をつけない即無条件降伏な対象があります。それぞれ対象は異なり、自分はディスクであり、嫁は食べ物なのです。資本(軍資金)の集中投下の法則です。価値観はどこまでも相対的であり個人的な、決して比較検討できない世界なのですね。
posted by 焙煎師TIPO at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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