
レコード棚で見つけた『ブエノスアイレス』のサントラを聴き、時間の持つ複雑さを憂います。
問題となったのは冒頭の滝の音に続いて流れるカエタノ・ヴェローゾの“Cucurrucucu Paloma”。ああ、何とこんなところで聴いていたのですね!大好きな曲であり、大好きな映画です。でもこの2つのパズルのピースは繋がっていませんでした。どちらかというと印象に残っているのはペドロ・アルモドバル監督『TALK TO HER』でカエターノ自身がチェロをバックに唄っているシーンです。ああ、何と心を締め付けるような、切り裂くようなやばい曲なんだと!その時点で何枚かのカエターノのアルバムは聴いているはずでしたが、記憶の断片はリンクしておらず、このおっさんやばいかも!とここで初めて認識。(後日、カエターノへの巡礼が始まり、40枚組コンプリートBOX『TODO CAETANO』まで行き着きました。昨年の来日公演は文句なしのベストライブアクトです)。でも、もっと驚きはこの曲をかつて、それも大好きな映画の中ですでに聴いていたことです。時間の流れが繋がりました。ウォン・カーウァイ、ペドロ・アルモドバル、カエターノ・ヴェローゾというピースが“Cucurrucucu Paloma”という曲を巡って旅してきた時間が見事に繋がりました。記憶の持つ複雑性を感じます。脳は感覚器より受容した周辺情報を取捨選択して蓄積していきます。メインメモリーに保存しながらも、一部の記憶は捨てずに、圧縮をかけ潜在記憶として抑圧します。これが何かのファクターによって解凍されてでてくるんですよね。時間というものは完成図の見えないパズルのようなものです。日々ピースを組み合わせていくのですが、その個々のつながりや全体の俯瞰図は全く判りようがありません。ミニマムな領域の日々の積み重ねのみが真実を教えてくれます。でもそれはいつ?誰にもわかりません。
ちなみに『ブエノスアイレス』のサントラにも収録されており、英題でもある“HAPPY TOGETHER”のこみ上げる様なメロディが大好きで、クーとなります。
映画評とてもおもしろいです。
そして、ぼくも年末に偶然にも
ククルクク♪のトークトゥハー映像
テレビで観て、同じこと思いました。
ブエノスアイレスはぼくの青春で、
当時、来日したクリストファードイルに
会うことができて、酔ってた彼にからまれた。
それから、ぼくはピアソラに走ったのですが、
カエターノ×ベックのトロピカリアも好きです。
実は、先週お店にお邪魔しまして、長居して
コロンビアを買ったものです。
あのコロンビアには、衝撃を覚えました。
家でも同じ香りがしてまた感動!!でした。
近いうちに伺います。