2007年02月14日

カタルシスを封印して

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周防正行監督『それでもボクはやってない』はあえて得意とする映画的なストーリーテリングを意図的に避け、カタルシスを封印した映画です。

『ファンシイダン』『シコふんじゃった。』『Shall We ダンス?』などすべての周防作品は物語を後半へで収束させ、すべてを解放する快感が特徴です。物語の中で主人公は変化し、最後に何かを成し遂げます。観客は主人公の思いに自己投影して、共にカタルシスを味わいます。コレがこの映画では見事に封印してあります。

同時にアメリカ映画の法廷モノの定石である正義の勝利も同様です。いかにもアメリカ的なジャスティス(正義)に基づいた「弱者が権力に勝利する」「正義が不正に勝利する」「マイノリティがマジョリティに勝利する」といった構造が希薄です。例えば『十二人の怒れる男』の論理的カタルシス!でもこの映画にはそもそも正義や不正はもちろん、裁判の論点となる犯罪行為すら存在しないという混乱具合。なんとも複雑かつ現実的な状況です。

周防監督はあくまでも映画的手法を避け、日本の裁判あの現状を伝えようとします。観客は知らなかった現実にひたすら当惑し、ひたすら落ち込みます。確かに救いのない2時間半の長尺は疲弊感のみを残しますが、これもまた現実。映画というメディアの伝えるべきことでもあります。

posted by 焙煎師TIPO at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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