2006年11月29日

物語は細部に宿る?

今日はとりとめない夢のお話。概ね他人の夢にお話には熱弁振るわれても覚めてしまうものです。でも余りにも奇妙な触感のため、書き残しておきたくなりました。
            カチンコ          
夢の中でどうしても観たい映画がありました。タイトルは『ヘブン……なんちゃら』。でも関西ではどこでも上映されておらずなぜか舞鶴のみ(なぜ舞鶴なん?)。仕方がなしに独り電車で舞鶴へ。片道電車賃1470円(実際はいくらかかるの?夢の中まで細かい性格!)もかけてわざわざあほらしいなと……とつぶやきながら。電車で出かけたはずが、途中から京都の山中の道なき道を越えて車で移動。里(何それ?)へ降り、探し当てた劇場(名をプラザ劇場で東映系列とか?やたら細かいけど意味不明)でチケットを買い案内されたの場所(シアター15↓ と案内が下向いている)が不可解。地面に掘り込まれた水を張った槽の中に2人分の棺桶のような寝床が浮いています。観客はそこへもぐりこみ上向きに横たわります。桶の蓋が閉じると目の前にスクリーンが映し出され、ふわふわ浮きながら映画を鑑賞するのです。まさしく映画『アルタードステーツ』のアイソレーションタンクそのまんま。

aruta-do01.jpg

濃密な暗闇が全身を支配し、目の前の映像からは目をそらすことが出来ません。耳元に響くモニターの声が調整を促します。フォーカスが合い映し出された映像はなぜか色あせたドラえもんでした。その後、2時間の上映時間をどうタンクの中で過ごしたのかは不明瞭です。夢特有の省略法で処理されています。そして舞鶴からの帰路の途中、携帯のアラームが鳴り現実へと回帰……。

夢は全体の物語としては流れは破綻していても、細部の持つ生々しい触感は強烈な印象を残します。ディティールの書き込みこそが正しい夢のあり方ではないでしょうか?そして人は圧倒的な“リアル”な描写を突きつけられた時、夢だから、と果たして軽く突き放つことが出来るのでしょうか?さらに覚めない夢は現実なのか?という映画『マトリックス』などでお馴染みのテーゼに突き当たります。所詮、現実も夢も認識・判断しているのは同じ中枢神経の寄せ集め器官です。どっちがリアル(本物)でどっちがフェイク(偽者)なんて使い古された二元論にすぎません。

………と、夢話を執拗に書き込まれても全然楽しく無いですよね。きっと昭和天皇なら「あ、そっ」と一言で片付けてくれるでしょう。

posted by 焙煎師TIPO at 13:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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