冬はいつも過ぎ去ること(春の到来)を望まれます。春と秋は余りも心地よい瞬間のため、気が付くと次の季節に飲み込まれています。夏だけがその時をゆるゆると楽しみ、同時に去ることを惜まれます。子供の頃、今日から夏休みだ!と歓喜すると同時に密かに夏休みの終わりの日を想像していました。海へ山へと繰り出し、毎日の暑さにいい加減うんざり。ふと気が付くと陽が短くなり、夕方以降が少しだけ過ごしやすくなり、密かに終わりを感じさせます。この年になっても、夏の終わりの地蔵盆を見ると胸が締め付けられます。京都の実家で迎えた夏休みの末期の思い出。通りがかりに地蔵盆を見ると懐かしくってキューという感じです。
夏という季節は外遊びに興味の無い私には大して重要でもないのですが、夏の終わりの物寂しさは大好きです。夏の終わりの雨を唄った“三月の水”の様な闇(冬)へと向かう張り詰めた寂寥感が大好きです。光が弱くなり、夏という季節が滅んでいきながらも同時に次の季節が必ずやってくる無限連鎖が人の心を豊かにさせます。
……と書きながらも、夏が本格的に始まりました。毎日暑いね!そしてコーヒー屋にとっては夏は試練の時。売上が大幅に落ち、厳しい時期です。まんじりと耐え抜き秋の到来をひたすら待つしかありません。昨年12月に開店したTIPOGRAFIAにとっては初めての夏です。予想以上の暇さ加減に時々自己嫌悪に陥って爆発しています。ははは、笑い事じゃないですね。早く秋よ来い!という感じです。
