
『新耳袋』の中山市郎による長編怪異実聞録『なまなまりさん』です。創作なのか実話なのか、一切の説明も解説もなく、“実聞録”と称して読者に提示されています。著者自身が主人公(語り手)として登場しており、体験者の伝聞を活字化したという体裁です。
確かに小説であれ、映画であれ、“怖がらせる”ことを目的としたメディアにおいて最も肝心なのは
(1)リアリティのある設定をベース
(2)不可解な現象を客観的に描く
(3)(2)に対して論理的な説明を補足しない
の3つの鉄則です。
受け手の身近な生活に属した土着なリアリティが必ずあります。例えば18世紀ロシアの北東部で起こった世にも恐ろしい話だ、と主張されても、実感は薄いものです。そして不可解な現象であればあるほど行間で想像を喚起させるがごとく、客観的な事実のみを提示します。最後にその現象が何々の因果の現象でうんぬん、と余計な解説をしないこと、そして受け手は突き放された時に恐怖を感じます。
『なまなりさん』はこの鉄則に準じた作品で、それなりに怖かったのも事実です。昨日、店の喧騒とは無関係にカウンター裏でこんなものを読んでいました。
アメリカのホラー映画の基本は力ずく驚かせることです。誰でも暗闇で急にワッ!と大声を叫ばれると驚きます。基本的にはこれだけ。そして物語の背景や過程を事細かに説明してくれます。これにはびっくりしても、大して怖くはありません。本当の恐怖はどうしようもない状況でただひたすら理不尽に突き放された時に感じます。最近のJホラーのハリウッドリメイクの背景となったのはこの理不尽さです。
ということで、夏に向かって怪談はシーズン入りいたしました。