2006年07月28日

不確かな記憶

人は自分がこれまで生きてきた証としての記憶を求めます。
本当に存在したのか、そして現在も存在しているのか、魑魅魍魎たるこの世界での生きている証を求めます。でも同時に記憶は曖昧で不確かなものであることも明瞭な事実。

30年以上前、京都の新京極通りの記憶です。

不確かな自分の中の記憶では新京極三条下ル、現在は映画館やハンバーガーショップのあたりに、蝋人形の館がありました。通り沿いに張りぼての鐘楼が誂えてあり、安っぽい人形のせむし男が鐘を鳴らしていました。「ガーン!ガーン!ガーン!」というスピーカーからの鐘の音が今も頭の中で鳴り響きます。蝋人形をテーマとした遊園地のお化け屋敷の様なアトラクションです。当然、子供心には惹かれると同時に恐れを感じていたはず。でも館内の記憶は曖昧。果たして入場したことがあるのかすら微妙です。

というよりそもそもこの記憶の中の蝋人形の館は本当にあったのでしょうか?何人かにこの話をするのですが、「ふーん!」という反応しか帰ってこない不確かな記憶です。WEB検索サイトで「新京極」「蝋人形」と入力してもそれらしい記事にはあたりません。これは後日、衝撃の真実の隠蔽のためインプラントされた、捏造された記憶なのでしょうか?(そんな訳ないちゅうねん!)。鐘楼のせむし男と鐘の音の明確さが脳内に存在するのに、同時に霧に隠された輪郭の曖昧な風景のような極めて不可解な記憶です。
posted by 焙煎師TIPO at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記