2007年10月25日

久しぶりです

ブログは続いています。

引っ越し先はコチラです。

相変わらず毎日更新を義務付け、いまだ続いています。

どうぞ偶然訪問した方、ショップカードなどのアドレスでここを知った方、さあ、どうぞ続きはリンクの“CAFE DO BRASIL TIPOGRAFIA”ストアブログで読めます。

お越しや〜すぅ!
posted by 焙煎師TIPO at 11:57| お店

2007年07月06日

引っ越しました

こちらへ引っ越しました。

こちらはアーカイブとして残しておきますが、新規分は引越し先にて展開いたします。ご迷惑をおかけいたしますが、容量過多で画像がアップロードできないなど、ストレスが掛かるので止む得ず退避します。
posted by 焙煎師TIPO at 10:55| 日記

2007年07月05日

MUSICAHOLIC

毎日、9時間程度は店内にいます。そのうち何時間、音楽が流れているのだろうか?多分、音楽含有率は概ね9割以上でしょうね。

McINTOSHのアンプとTechinicsのMIXERは決して休むことなく発熱し続け、使用頻度の高いCDプレイヤーは常にディスクを回しています。

来店したお客様は否が応でも店主の流す趣味性の強い音楽を聴かされることになります。一応、客層や時間帯で選曲や音量を調節しているつもりではりますが、時々お客様から「ちょっと音量下げて」と指摘され、おもちゃを取りあがられた子供の様にちょっとだけ「むっ!」としながらも、MIXERをいじります。そんな時は大人気ない自分に悲しくなります。いつも、その場所とその時とその人とその状況に応じた適切な音楽があるはずです。

あるお客様と話していたのですが、確かに CHICO SCIENCE&NACAO ZUMBI がガンガンと大音量で唸っているカフェで寛ぎたくないですよね。でも………時々流れてます。これは店主の片付けのテーマ曲です。閉店後、疲れ気味でダウナーの頃、テンションを上げるために『da lama so caos』を大音量で流します。これを聴くと半分やけくそになりながらも掃除は結構はかどります。

つくづくMUSICAHOLICな毎日です。
もちろん適当な造語です。勝手に考えました。“WORKAHOKIC”の様に“aholic”は名詞につけて「…中毒」「…におぼれる人」の意。店主の患っている音楽中毒は進行性のビューキです。

でも時折、“無音”が訪れます。
音楽が聴けない、頭に入ってこない時があります。
そんな時は、音楽を切り、何も考えずに自然の喧騒に身を任せます。そしてしばらくすると再び、身体が音を求め始めます。無音は破られ、再び周囲に音が流れます。SANTANAの武道館でのライブ盤じゃないけど、静寂の時、密かな黙祷(瞑想)があってこそ、音楽がより一層生きるのです。
posted by 焙煎師TIPO at 10:43| musica

2007年07月04日

ダイ・ハード4.0

die hard.jpg

しかし忙しい映画です。
ブルース・ウィリスはいつも汗をかき、怪我して走っています。決して止まりません。ひたすらバカバカと反対サイドの人間(敵役)を殺しまってます。絶対このおっさん地獄に落ちます。

前作から12年ぶりのシリーズです。
早12年も時が流れてのですね。劇中の主人公も経過時間と同じだけ年を食っています。911みたいなテロが現実に起こってしまうと、絵空事のテロリスト映画が全く洒落にならないものです。事件からいくらかは時が経ちアメリカ映画も少しは落ち付き、再びご都合主義なテロを描く余裕ができてたのでしょうか?

シリーズの常としてあまり変わりない映画で、当然アクションも火薬量も闇雲にスケールアップ(これは避けられない条件)。その意味では、前作までを観ていなくても楽しめ、夏休み映画としては多少、人が死にすぎるけど、娯楽大作としてピッタリ。

最近気が付いたのですが、時として静寂よりも、激しい刺激(音や映像など)が恒常的に続く時、逆に人は睡眠へと誘われるようです。そういえば昔、鼓膜が痛いようなフィードバックノイズの爆音ギターのライブで立ちながら眠っていた人がいました。傍らで観ていたうちの連れ合いも同様で畳み掛けるようなアクションシーンが連続すると機能不全に陥るようです。

映画には2種類あります。それは……
  
  後を引く映画と後に何も残らない映画

です。これは典型的な後者の映画。
劇場を出て10分後には全てを忘れています。その点では幸せな映画です。
posted by 焙煎師TIPO at 11:16| 映画

2007年07月03日

テュリャテュリャ

昨日は

♪月曜日には町へ出かけ、カレーうどんを食ってぇ〜テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー♪

……という感じの定休日でした。

1週間が月曜日から始まるのか、月曜日に終わるのかは微妙なところです。一般的には1週間の終わりがは土曜日か日曜日かと問われますが、商売柄、週の終わりは日曜日、定休日である月曜日は空白の時、そして週の始まりは火曜日ですね。そして今日は週の仕事始め。今週もおいしいコーヒーが提供できるように日々精進あるのみです。

さて、まだカレーうどんブームは続いています。でもそろそろ次なるブーム“オムライス”に移行しそうな気配があります。コーヒーでもそうです。どこの店に行っても、徹底してコロンビアならコロンビアばかりを飲み続けることは結構勉強になります。容易に比較が可能になるからです。カレーうどんですら、こんなにも味わいが異なり、その店なりの解釈が楽しめるのですから。ワンテーマを絞っての飲み食い歩きは楽しいものです。どんなことでも真実を見極めるには、なるべく変動要素を廃し、一定の条件の下での個別サンプルの比較検討が必要です。習慣化した月曜日のカレーうどんの影響でこれがないと気分が切り替わらない?ちなみに昨日は心斎橋の明日喜でした。


posted by 焙煎師TIPO at 10:35| うろうろ

2007年07月02日

ボルベール《帰郷》

映画『ボルベール』です。

女は強い。
女はたくましい。
女はしたたか。
そして女はやさしい。

何とも男性の希薄な映画です。
世界には女しか存在せず、男は書割の風景の一部でしかないようです。全編ほぼ女性ばかりの物語です。唯一の男であるペネロペ・クルスの旦那にいたってはとんでもない末路を迎えます。どんなに足掻いても男は女にはかないません。アルモドバルの視線はどこまでも女性的。『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』に続く女性三部作だそうです。
ペネロペ・クルスも久々の母国語でイキイキと母なるやさしいビッチを楽しそうに演じています。

ああ、女にはかないません。
posted by 焙煎師TIPO at 21:05| 映画

2007年07月01日

EMILIE-CLAIRE BARLOW

昨日はアイスコーヒー教室にご参加いただき本当にありがとうございます。少しでも皆様のコーヒー生活に役立ったならうれしいのですが、いかがでしたでしょうか?

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さてEMILIE-CLAIRE BARLOW『THE VERY THOUGHT OF YOU』が誰もいない店内で流れています。最近のお気に入りの女性シンガーです。当然ジャケ買い。気合は入っていないけど、ピアノトリオ+ギターを基本にストリングスを配して、つぶき声系でサラッと流されるスタンダードが心地よく、思わず眠ってしまいそうです。早く誰か来て!M-3“OPATO”M-6“WHAT A LITTLE MOONLIGHT CAN DO”M-10“DE CONVERSA EM CONVERSA”M-12“SO MANY STARS”がいけます。

posted by 焙煎師TIPO at 10:26| musica

2007年06月30日

おきばりやすぅ

先日観た映画『舞妓Haaaan!!!』以来、“おきばり”づいています。

    「おきばりやすぅ」

映画の中で度々繰り返される台詞です。
スクリーン越しに刷り込まれた台詞は言霊と化して、日常会話も支配します。非京都人の脚本家が京都弁を的確に表す言葉として執拗なまでに確信犯的に使用したに違いありません。その妄執はもはや嫌味の域に達し、「君、茶化しとるんけ?」と突っ込みたくなります。

しかしながら……。

確かに日常意的に使います。

気が付くと無意識に、別れ際に連れに向かって声を掛けています。いつだったか、店に来た生粋の京都人である父は「まあ、お気張りやすぅ」と帰り際に言い残して行きました。自虐的に見れば、これは明らかに放蕩息子への親からの密かな叱咤激励なんでしょうね。

英訳すると単純に“GOOD LUCK!”となるはずなのですが、もっと微妙なニュアンスがあります。説明は微妙、歴史やコミュニティーに裏づけされた土着的な語彙です。映画の中でも「花街言葉と日常の京都弁は違うさかいに、その違いを覚えなはれ」とありましたが言葉とは本来そういうものです。ブラジルにおける“SAUDADE”が英訳、日本語訳も不可能は微妙なニュアンスを含んでいるのと同じです。そのTRIBE(共通の特徴・職業・趣味・利害関係をもつ集団)に属していない者がその集団を肯定したい、あるいは否定したい時はこれらの言葉を使用する傾向があります。芸人がいんちき中国語やいんちき大阪弁をネタにするのと同じ意味合いです。

まあ、いろいろと書きましたが、『舞妓Haaaan!!!』はまさにおきばりやすな映画です。それ以上でも、それ以下でもありません。非京都人による京都という「幻影都市」を力技かつハイテンションで描いた作品です。首都機能を東京に奪われた京都という町は単なる歴史のある地方都市でしかありません。そして歴史に培われたイメージという幻でしか、非京都人に対抗できません。
posted by 焙煎師TIPO at 12:32| 映画

2007年06月29日

なまなりさん

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『新耳袋』の中山市郎による長編怪異実聞録『なまなまりさん』です。創作なのか実話なのか、一切の説明も解説もなく、“実聞録”と称して読者に提示されています。著者自身が主人公(語り手)として登場しており、体験者の伝聞を活字化したという体裁です。

確かに小説であれ、映画であれ、“怖がらせる”ことを目的としたメディアにおいて最も肝心なのは

 (1)リアリティのある設定をベース

 (2)不可解な現象を客観的に描く

 (3)(2)に対して論理的な説明を補足しない


の3つの鉄則です。

受け手の身近な生活に属した土着なリアリティが必ずあります。例えば18世紀ロシアの北東部で起こった世にも恐ろしい話だ、と主張されても、実感は薄いものです。そして不可解な現象であればあるほど行間で想像を喚起させるがごとく、客観的な事実のみを提示します。最後にその現象が何々の因果の現象でうんぬん、と余計な解説をしないこと、そして受け手は突き放された時に恐怖を感じます。

『なまなりさん』はこの鉄則に準じた作品で、それなりに怖かったのも事実です。昨日、店の喧騒とは無関係にカウンター裏でこんなものを読んでいました。

アメリカのホラー映画の基本は力ずく驚かせることです。誰でも暗闇で急にワッ!と大声を叫ばれると驚きます。基本的にはこれだけ。そして物語の背景や過程を事細かに説明してくれます。これにはびっくりしても、大して怖くはありません。本当の恐怖はどうしようもない状況でただひたすら理不尽に突き放された時に感じます。最近のJホラーのハリウッドリメイクの背景となったのはこの理不尽さです。

ということで、夏に向かって怪談はシーズン入りいたしました。
posted by 焙煎師TIPO at 11:28| 活字中毒

2007年06月28日

ウッドハンドル

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桜の木で作ったハンドルの名門ドリッパーセットができました。天然木の持つ独特のぬくもりは心を和ませます。

2人用(写真)と4人用があります。店でも近いうちに仕入れてみますが、ご希望の方は取り寄せいたします。お申し付け下さいね。価格は2人用セット5500円、4人用セット6800円なり。


posted by 焙煎師TIPO at 10:36| コーヒー